私たちは大事な決断するときに、なにかピンと来ない、意識して気分を変えてみたけど結局決断できない、と悩みが深くなることがあります。 しかし、自分の周りにそんな経験をした人がいないだとか、相談できる友達が今そばにいないなど、一人で決断しないといけないときは、一人二役で演技してみるという方法がありました。

人には先入観(バイアス)というものがあります。 先入観は、判断を曇らせてしまう原因にもなりかねません。

それでは、どうすれば心の偏りを無くし正しい決断ができるのでしょう?

まずは前回までのおさらいです

1.直観的に「これは絶対にやった方がいいぞ!」という強い衝動にかられたら、ためらってはいけない!

これは単なる感情のおもむくままに決断しろ、といっているわけではありません。 あくまでもポイントは、心に強い衝動にかられたときは行動すべきだといっています。

この記事はこちら ⇒ 引き寄せ!直観的に強く感じたら、ためらわない!(1)【潜在意識】

2.直観力不足なら、いつもと違った「変化」を意識的に心がけ、心に新鮮はショックと感動を与えましょう!

と、「ひらめき」や「勘」を取り戻す方法を試してみます。

この記事はこちら ⇒ 直観力不足なら、あえて自分に刺激という変化を与えよう!(2)【潜在意識】

3.迷わず経験談を聞いてみよう!

と、自分が今迷っている決断をする時に、経験のある友人や知人がその時どのような感情を持ったかを尋ねることです。

それは、「他人の経験談を参考にする」ということでした。

この記事はこちら ⇒ 直感力が欠乏?では他人の経験談を聞いてみよう!(3)【潜在意識】

4.一人二役を演じてみよう!

と、自分の思い込みや一方的な見解を自分自身で検証してみることです。

「あなたの決断は間違っていませんか? 自分にとってベターな選択ですか?」と、自分に問いかけ、自分に説明してみることが大事になるのですね。

この記事はこちら ⇒ 直感力を補う!一人二役で自分自身を検証してみよう!(4)【潜在意識】

心の先入観を取り払う

人は、誰しも先入観(偏り、バイアス)を持っています。 この先入観を取り払うことが大事なんです。

先入観は、人のめききや物事を私たちが判断したりするとき、往々にしてその判断を曇らせる原因となってしまいます。 一方からの見方へ偏ったり、目に見える範囲からだけの判断に陥りがちなのです。

これを別の言い方をすると、

心にバイアスがかかっている」ということになります。

 心のバイアスってなんだ?

まずは、「バイアス」ってなんでしょう?

ちょっとマニアックになりますが、統計学的に説明してみます。

少しだけ、お付き合いくださいね。

バイアスは、日本語でいうと「偏り(かたより)」ということになります。

偏りには二つの大きな意味があります。

1.心の偏りとは、他人の意見も入れた平等な目で見てないんじゃないの? ということです。

私たち自身が持っている今までの知識や経験の要素で邪魔され、物事を判断するために取り出されたのは自分のサンプルだけ。 これでは、他人の経験や見方は無視されているので、サンプルは平等に選ばれていないと考えられる場合をいいます。

これは、前回の記事で触れました、「成功者である他人の経験、または友人や知人の意見聞いてみる」という客観的な姿勢が、心のバイアスが外れている、ということになります。

2.もう一つの偏りとは、自分が判断する基準値がホントに正しいの? ということです。

今回の記事はこの基準値について分かってもらおうと書いたのですね。

推定量(ここでいう基準値)の偏りとは、推定すべき量を何らかの理由で高く、または低く推定しすぎている場合をいいます。

例えば、ここに10人いて全体の平均点が50点だったとしましょう。 全員の点数が50点ならどんぐりの背比べということになります。 これだったら、誰にも成功のチャンスはあります。

ではこの場合はどうでしょう!
同じく10人いて全体の平均点は50点だったとします。 100点満点とって成功した人が5人、、脱落した人は結果0点で5人。  これでも平均点は50点です。
仮にあなたが、「50点以上取れると思うし、平均点よりも上だから、俺、けっこういけるんちゃう!成功間違いなしだよね」と勘違いしたらどうでしょう。 最悪の決断となるかもしれませんね。

判断の基準値は限りなく100点のところへもっていかなければ成功はおぼつかないところを、50点以上を越えてれば大丈夫だとたかをくくってしまうのです。

これが自分基準というバイアスが掛かってしまうことの弊害です。

おわかりいただけたでしょうか!

心のバイアスを外すことがいかに大切か! 偏りの無い目で物事を判断できるようにしたいものです

 基準値を無視していないか

ここで、よく使われる分かりやすい例題をだします。

<状況> 喧噪から一本入ったところに、白い壁と植え込みの緑がマッチしたオープンテラスのカフェがあります。 昼下がりのひと時、平日ということもあってか、テーブルに付く人はまばら。 デッキの端から2番目のテーブルに、一人の女性が本に目を落としています。 傍らには楽器を入れたケースが立てかけられています。

<推定> 彼女は、20代前半で、独身。 音楽学校の大学生。

<基準値> 平日の昼間にお茶をできるのはOLではなく、学生か働いていない女性。 この近辺はオフィス街じゃない。 となるとOLじゃない。 音楽学校の学生だろうということに結論したけれど、この界隈では主婦を含め、働いていない女性の方が圧倒的に人口は多いはず。  楽器を持っているから音楽学校の生徒だろうと推定したが、それ以外の習い事もしくはプロかもしれない。 これは五分五分だ。

<偏り> 人口の多さを考えると基準値を無視している可能性が高い。 ということになります。

もっと分かりやすい例をひとつ、これは外国の記事で引用されていたものですが、

Suppose I told you I’m sitting opposite a man who is wearing glasses and listening to Mozart.  Do you think it’s more likely that he’s a literature professor or a truck driver?  If you choose the former, you’ve just fallen for what psychologists call “base-rate neglect”.  The “base-rate” is the likelihood for the most important factors at play.

there are vastly more truck drivers than literature professors, so even allowing for stereotypes, it’s far more likely the man is a trucker than a professor.

 (出典:http://99u.com/articles/18784/tough-choices-the-science-behind-making-the-right-call)

(拙い訳ですが、)

メガネをかけモーツァルトを聴いている男が、私の向かい側に座っていたとしましょう。 彼は、文学部の教授かトラックの運転手のどちらにより近いと思いますか? あなたが前者を選んだなら、心理学者たちが「基準値の無視」と呼ぶ状態に陥っています。 「基準値」とはその状況に最も影響を及ぼしている重要な因子が起こる可能性のことです。

文学の教授よりもトラックの運転手の方が人口は多いのです。それでも固定観念に囚われています。その男性が教授よりもトラック運転手である方が、はるかに可能性があります。

このように見た目や状況で判断するときに、定量的なことを人は結構無視して見ているということがわかります。

 基準値が極端になっていないか

ですから、思い込みである「バイアス」を一旦外してみるという行為が大切なのですね。

そして決断を下すときには、「基準値」というものを頭の片隅に置いておくことが大変有効です。

極端に否定的になったり、極端に肯定的になったりして、状況を見誤ってしまうことを避けられるかもしれません。

ポジティブなときは「失敗もありえる」、ネガティブなときは「ものごとがいい方向に変わる可能性はないか」という考えを持っておくことが大事です。

~ まとめ ~

私たちは、目の前にある状況や見た目で物事を判断しがちです。

正しい判断をするために、

  • 「心のバイアス」を外して、客観的にもう一度見てみましょう。
  • 自分自身が判断する「基準値」が、どこにあるのか、どの程度なのかを数値で図ってみることも大事です。
  • 肯定か否定かの極端な判断になっていないかをバイアスを取り除いて再度確認しましょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。