難しいことを書くつもりはありませんが、

とにかく言えることは、「祈りにはパワーがある」ということです。

そのパワーを使って強く望めば実現も夢ではない。

なんと、パワーを引き出すための「祈りのノウハウ」が存在することを知っていますか?

祈りにはノウハウがある

祈りというと等しく宗教だと誰しもが思いがちですが、「無心教だよ」というあなたでも窮地に陥ったときや大きな岐路に立ったとき、藁にもすがる思いで天に向かって「神様、お願い!」という言葉が口をついて出ませんか?

具体的にどのような神を想像して祈りを立てているわけではありません。 よくわからないけれど、見えざる何か大いなる力の存在を期待して叫んでいるわけです。

しかし、この行為は量子物理学的にはかなり合理的な方法といえます。 量子力学では「意識が現実を想像する」という概念があります。

古い時代の科学では、目に見えるコトのみが信じるに値し、目の前の現実が実はパラレルで存在し、今現在の意識がどう判断しているかでその先の現実は変わってくるなどという量子力学のバカげた世界はとても容認できない世界です。 物質の最小単位は、超ひも理論で証明されたように点のような存在ではなくひものような存在で、その位置は確率的に決まるというんですね。

わかるようでわからない世界。 これが現代物理学でいう本当の現実なのです。 祈りとどう関係していくのかというと、祈りが意識の上で行われる行為だからです。

強く祈れば祈るほどイイ

強く祈るということは、意識をあることに集中し高めるということです。

高められた意識が今見ている現実の波動を少しずつ変化させ、別の同次元へシフトさせていくかもしれません。 ちょっとずつズレていくんです。 このズレが望む方向であれば良いのですから、やはりどんどん祈る方がいいということになります。

誤解を恐れずに言うと、「強く祈れば祈るほどイイ!」ということです。

常識では説明しがたい超自然現象と思える劇的な変化が、肉体または様々な現象として起こる、これが祈りです。 良いことを思えば良いことが起こり、悪いことを思えば悪いことがおきる、その未来を作り出しているのが自分自身の意識だとしたらどうします。

じゃあ人を責めるなんてことはナンセンス、っていうことですか。 そう、誰もが戸惑いますよね。 昔、さんざん虐められた、酷い仕打ちを受けた、だから憎んでいます、と言ったって、それは自業自得でしょ。 ということになります。

他人やその時の環境を責めてもムダだということなんです。

過去に囚われず、カルマは捨てていけ
  <魂の輪廻転生を信じる世界>

量子力学の結論はもっと強烈かもしれません。

過去は自分自身の意識が創り出した幻影で実在しなかったというのです。 他人と共通の思い出を共有したとしてもその見え方や受け取り方はおのずと違い、あなたの意識の中にしか存在しないのです。

よくカルマといわれるのは、この過去の幻影を引きずることから生まれてくるのですね。 過去の憎しみや悲しみ、怒りや苦しみは、自分という意識の存在が創り出したバーチャルのワンシーンだとすると、何本も取り終わった陰惨な自伝映画を後生大事に抱えているのと同じです。 感動の名作なら魂の高揚があるでしょうが、魂の大きな傷として刻印された作品を「あの世」へ前科として持っていく必要はありません。

魂を上へ上へと昇っていかせたいなら、下へ下へと押し下げるお荷物はさっさと捨てましょう。 きれいさっぱり忘れた方がいいのです。 真面目というかどうしようもないというか、輪廻転生において同じことを繰り返すことは意味がありません。 一度学べばいいのであって、何度も学ぶ必要はないからです。

現世においての課題は過去のカルマを繰り返すのではなく捨て去ることのようです。 魂を曇らせているカルマを一つ一つ取り去って、美しい光へと昇華させていきましょう。

今にここに生き、感謝しよう
<量子力学へ相通じる世界>

「今ここに生きる」は、偉大な聖人や聖者のすべてが教えとして言っています。

しかし、私もこの意味がなかなか分からなかったのです。 過去は誰が何と言おうと「厳然と存在する」と思っていましたし、未来はある程度決まっているのではないかと思っていました。

これは間違いなのですね。 同じ映画を見ても人によりその感じ方や受け止め方は違います。 つまり、自分の経験した過去を自分がどのように評価するかでその事実そのものが変わって見えてきます。

その上にある「今」、過去はあくまでも過去であって、「今を生きれば」過去がどうあれ「今生きている幸せ」を感じることができるというのです。

「今」はまさに「その瞬間」です。 これも量子力学の考え方と同じです。

今の連続が未来を作っていきますが、その「今」が鏡の世界のようなもう一つのパラレルワールドを形作っていきます。 この連続した今が、想い描いた世界へ自分をいざなうか、まったく想像外の世界へいざなうかを決めるのですね。 ということは、意識をもって「今」を大事に生きていけば、強く思った状況へ限りなく近づいていくということです。

年をとると老い先短いことを意識するのか、「今を大事に」しようという気持ちへ素直になれます。 若いころは夢や希望に満ちていますから先(未来)ばかり見ていました。 逆に、夢に敗れや希望が潰えると、俗にいうお先真っ暗です。 何も見えず、今生きている幸せすら実感できず、先(未来)なんて見えるはずもありませんでした。

なぜ、あらゆることに感謝するといいのでしょう。

この答えはシンプルです。 感謝は喜びにつながりますから、すべてにおいて波動がいんです。 プラスの効果を出しますから、ネガティブな感情を打ち消し、ポジティブな感情により多く作用していきます。 難しく考えず「ありがとう」と添えるだけです。

自分の意識が創り出した世界が現実
  <量子力学的にも素直に受け入れるべきこと>

ここで常に前向きに生きよう、いつもポジティブであれ、なんてことを言うつもりはありません。 世の中、常にプラスに偏りすぎいている人がいると、ちょっとこの人大丈夫かなと思ったりしませんか。

多くの人は、生活の中に喜怒哀楽があります。 この喜怒哀楽を聖者のように常にニュートラルな状態に保てるよう修行する必要もありません。

必要なことは、この喜怒哀楽は自分自身の意識が作り出した現実に対して自分自身がその感情を抱くわけですから、そこからくる恐れや不安、孤独や絶望は自分自身の意識が創り出したものということの理解です。

量子力学でも精神世界でも「意識が世界を創造している」とその可能性を証明しているわけですから、難しいこと考えずに「この世の仕組み」を素直に受け入れればいいと思います。

別にそこで修行を重ねる必要はありません。 意識が自分の今を創っているとわかったなら今を大切にすればいいことです。 感謝すればいいことです。

凡人である私たちがその理屈を頭で理解するのは難しいですから、迷わず「今を大切に生き、感謝する」これを実践するだけですね。

シンクロニシティ(閃き)は神のささやき
  <心理学的にも受け入れることの重要さ>

人は誰でも「閃き(ひらめき)」が訪れることがあります。

ここでいう閃きは神のささやきですから思いつきではありません。 私たちの内なる神が教えてくれる啓示だと言われています。

閃き(ひらめき)は神のささやきとして大事にしましょう。

ユングが提唱した「集合無意識」の概念です。 誰しも人類共通の無意識を持っているというのですね。 宗教的にいうと守護霊とかご先祖様からの言葉となるのでしょうが、ふと心からわき出したささやきをいいます。

心理学的にいうとシンクロニシティということになりますか。 私たちの考えや行動に少なからずよい影響を与えてくれるというものです。

シンクロニシティについては、次の過去記事も参考にしてくださいね。

 ⇒ 潜在意識とは何? それは脳への”すりこみ”だ!

 ⇒ 偶然の産物か! 幸せのシンクロニシティとは?

「死後の世界」はある
  <信じることで祈りのパワーは増す>

死後の世界は必ずあると確実に証明されているわけではありません。 しかし無いという証明は難しいのですね。

蘇生医療の現場を参考にします。蘇生医療は、鼓動が止まった心臓を復活させるための医療処置「心肺蘇生法(CPR)」が採用されるようになった20世紀の中ごろに始まりました。 当初は、CPRが有効なのは心停止から数分間だといわれていましたが、医療技術の進歩によりその時間は30分を超えるまでになっています。

新しい手法とともに、「生と死の狭間」はさらに拡大しているといわれています。 蘇生した人々から、従来考えられてきた科学の常識を否定するような体験が報告されています。 脳の活動が停止していたはずなのに、周囲の物事を見たり聞いたりしたというのだ。 いわゆる臨死体験ですね。

蘇生した人々の記憶が正確で、なおかつ脳が本当に停止していたのだとすれば、少なくとも現在の神経学では説明が付かない現象なのです。

「現在はっきりとしているのは、人間の意識が消滅するわけではないということだ」というのが蘇生医療研究者の言葉です。 「意識は『死』のあとも、数時間は存続し、外側からは見ることができない冬眠的状態である」とも。

蘇生医療研究者であるサム・パーニア氏の言葉を借りますと、
「人間の精神と意識は、電磁気学で扱われるような、脳と相互作用する非常に微小なタイプの力ではあるが、必ずしも脳によって生み出されるわけではない」、
ということなのかもしれません。
これらのことはまだまったくわかっていないのですね。

死後の世界を信じるか(国別調査)

次のグラフを見てください。

世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。ここでは、神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録にした。 ↓

神の存在、死後の世界を信じるか?

神の存在と死後の世界に対する見方を世界各国で調査した結果です。

エジプト人は、神の存在、死後の世界ともに、100%の人が信じています。 さすがエジプト文明です。 ヨルダン、インドネシア、フィリピンといった諸国も同様の見方ですね。

アメリカは欧米先進国の中では神の存在、死後の世界を信じる者が多い点が目立っています。 アメリカで「死後の世界があると信じますか?」という質問はナンセンスなんでしょうね。 ほとんどの人があると信じているのですから、「どう向き合えばいいのですか? どうしてあると思うのですか?」と質問を変えなければいけません。

へえ~と思ったのがベトナムです。神の存在も死後の世界も信じていない人が多い点で目立っています。 ベトナムはある意味信仰心が小さいということでしょうか。

日本は、ベトナム、チェコと並んで、神の存在を信じない人が30%と特に多い国ですが、死後の世界についても、信じない人が45%と多いです。

しかし、日本人の特長は、同時に「わからない」の比率が多い点です。

神の存在については、世界各国の中でも、「わからない」の比率は33%と圧倒的ですし、死後の世界についても、「わからない」の比率は38%と世界一高いのです。

日本人は、神の存在や死後の世界に対して、存在するともいえるし、存在しないともいえるという立場をとっているように思えます。 どっちつかずの外国人からわかりにくい民族ととらえられている傾向があります。

しかし、よく言えば、存在を証明できない以上、どっちでとも言えないではないかと哲学的に考えている民族であるともいえる、と解説は締めくくっています。

どちらにせよ、祈りのパワーを増すためには、「死後の世界はある」と信じることです。 先ほど説明した集合無意識からの閃きや先祖友人から、あなたのための素晴らしいお伝え事があるかもしれません。

以上のように祈りのパワーは絶大です。 そして祈りにパワーを持たせるためにははノウハウがあることがわかりました。 素直に実践したみたいものですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。