昨日の「桜島」噴火のニュース(2月5日午後6時56分鹿児島県桜島で噴火)に続き、今日は台湾南部での地震発生ニュースが飛び込んできました。

先日、台湾ゆかりの俳優「ディーン・フジオカ」さんの記事で、台湾の「高雄」について触れていました。高雄は、台湾南部に位置し、日本とも関係の深い地域です。

今回の台湾南部地震(2月6日午前3時57分発生)は6.4Mj

マグニチュード7.0Mjを超える地震が毎年発生している我が国、日本。

果たして日本は大丈夫なのか?

過去の大規模地震を検証してみたいと思います。

   先日の記事はこちら ⇒ 歴史の中の日本人と「ディーン・フジオカ」と「台湾」、そしてこれから!

 

今回突然舞い込んだ台湾南部地震のニュース、被害が大きくなければいいが、まずはこの速報から取り上げてみます。

 

台湾南部地震

まずは、台湾の「中央気象台」の速報がこちらです。

地震の規模は、マグニチュード6.4。震源は高雄市美濃区で、深さは16・7キロです。

雲林県草嶺が震震度6、高雄市や台南市などが震度5と各地に影響が出たようですね。

 

 地震発生直後の現地報道

発生直後の速報がこちら、↓


(出典 : 台湾メディア「自由時報」の速報)

台湾では6日から春節(旧正月)の連休に入っており、ちょうど帰省ラッシュにぶち当たってます。

台湾高鉄(台湾新幹線)によると、台南付近で架線にも被害が出ているといい、中部・台中以南の区間での運転が出来なくなっているそうです。

台南で余震と見られる地震が午前7時ごろまで断続的に続きました。

 

 日本の対応

日本も即座に反応し、安倍首相が、台湾南部の地震について、

「大きな被害が出ているとの報に接し、大変心を痛めている。亡くなられた方々へご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方に対し、お見舞い申し上げる。日本は必要な支援を何でも供与する用意がある。」

とする馬英九(マーインジウ)総統あてのメッセージを午前中に出しています。

 

台湾でもこのニュースは報道されています。

關心南台強震 日相安倍致電:願提供一切支援」 ↓


(出典 : 台湾メディア「自由時報」の速報)

 

ビルの倒壊や地震での犠牲者も出ているようで、今、記事を書いている時点で、「台湾地震、5人死亡380人負傷 高層マンション倒壊」がわかっています。 ↓

 

日本の主な震災

 |北海道南西沖地震

1994年(平成6年)7月12日 には北海道南西沖地震が発生しました。 マグニチュード 8.1、奥尻島で推定震度6、北海道江差町・小樽市・寿都町、青森県深浦町で最大震度5。 死者・行方不明者230人を出し、奥尻島などに津波が数分後に押し寄せ、被害を大きくしました。

その翌年には、日本を震撼させた、「阪神・淡路大震災」が起こるのです。

 阪神・淡路大震災

阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)が、1995年(平成7年)1月17日に発生してから21年が経ちました。

淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震源として発生したM7.3、震源の深さ16kmの地震で、最大震度7の激震でした。

犠牲も大きく、死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名という壊滅的な状況でしたが、現在、都市環境については見事復興を果たしています。

グニチュードで7.3、三連休の翌朝の朝5時46分に発生した地震です。震度7を始めて観測した地震でもありました。阪神高速道路の橋脚が軒並み倒れ損壊した映像は、目に焼き付いている方も多いと思います。

私の友人から聞いた話です。 彼はその時、東淀川の7階アパートで朝風呂中でした。 揺れを感じだしてから突然大きな揺れが来て、すると湯船のお湯は浮き上がり、湯船の中で洗濯機状態。 地震が少し収まったときには、お湯のほとんどは溢れ出ていたそうです。

戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、東日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。

 

 新潟県中越地震

2004年(平成16年)10月23日17時56分には、新潟県中越地震が発生しました。 新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震で、最大震度7を記録しました。

この時の犠牲の規模は、小千谷市、十日町市、長岡市、見附市周辺で、高齢者や子供を中心に68名が死亡しました。 また、家屋の全半壊はおよそ1万7000棟に上りました。 一部で火災が発生したものの、家屋の密集度や人口密度が低い地域で発生した地震であったため、阪神・淡路大震災と比べれば被害ははるかに少なかったといえます。

再び、2007年(平成19年)7月16日にMj 6.8、新潟県長岡市・柏崎市・刈羽村、長野県飯綱町で最大震度 6強が発生しました。柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害が出て、死者15人。局所的に最大1mの津波を観測しました。

その翌年の2008年(平成20年)6月14日には、 岩手・宮城内陸地震 が発生しました。山崩れや地滑りが多発し、死者・行方不明者23人がでています。

 

 東日本大震災

そして、まだまだ記憶に新しい、最悪とも言うべき東日本大震災が起こります。

それは、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害です。

東北地方太平洋沖地震は、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とし、地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw)9.0、Mj8.4でした。

今までの日本周辺における観測史上最大の地震となったのです。

震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200キロメートルのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされ、最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測しました。

私たちは、未だに震災の後遺症から抜け出られていません。

被災者の多くの方が、同じとは言えないにしても元のような生活に戻っておられない状況です。 福島の原発事故は、解決するどことか、まだまだ収束に向かっての長い長い道のりが横たわっています。

その後も、東日本では震度4から5強の地震が起こっており、今後も引き続き警戒が必要になっています。

 

 直近では

直近では、2015年5月30日に小笠原諸島西方沖地震の中では最大のMj(気象庁マグニチュード)で8.1 震源の深さは682kmと最も深いものになっています。気象庁によれば、1900年以降に発生したマグニチュード8クラス以上の地震では世界最深です。

 

 |過去の被害大の主な地震では

- 昭和

1984年(昭和59年)9月14日の 長野県西部地震、 Mj 6.8、長野県王滝村で推定震度 6、山梨県、長野県、京都府で最大震度 4。死者・行方不明者29人。

1983年(昭和58年)5月26日の日本海中部地震 、 Mj 7.7、青森県深浦町、むつ市、秋田県秋田市で最大震度 5、日本海に大津波、死者104人。

1978年(昭和53年)6月12日の宮城県沖地震 、 Mj 7.4、宮城県、岩手県、山形県、福島県で最大震度 5、死者28人、津波あり。

1978年(昭和53年)1月14日 の伊豆大島近海の地震、 Mj 7.0、東京都伊豆大島と神奈川県横浜市で最大震度 5、死者25人。

1974年(昭和49年) 5月9日 の伊豆半島沖地震、 Mj 6.9、静岡県南伊豆町で最大震度 5、死者30人。

1964年(昭和39年)6月16日の新潟地震、 Mj 7.5、新潟県、山形県、宮城県、福島県で最大震度 5、死者26人。

1960年(昭和35年)5月23日のチリ地震津波、 南米チリ・バルディビア沖で発生した巨大地震に伴う津波あり。日本国内での死者142人。

1952年(昭和27年) 3月4日 の十勝沖地震 – Mj 8.2、北海道浦河町・帯広市・本別町・釧路市で最大震度 5。北海道から東北に津波あり。死者・行方不明者33人。

1948年(昭和23年)6月28日の福井地震、  Mj 7.1(Mw 7.0)、福井県福井市で最大震度 6。死者・行方不明者3,769人。

1946年(昭和21年) 12月21日の南海地震(昭和南海地震)、  和歌山県沖〜四国沖、Mj 8.0、中部地方から九州地方にかけて最大震度 5。房総から九州にかけて津波あり。死者・行方不明者1,443人。

1944年(昭和19年)12月7日の東南海地震(昭和東南海地震)、  三重県沖、Mj 7.9、静岡県御前崎市、三重県津市で最大震度 6。伊豆から紀伊にかけて津波あり。死者・行方不明者1,223人。

1943年(昭和18年)9月10日の鳥取地震、  Mj 7.2、鳥取県鳥取市で最大震度 6。死者1,083人。

1933年(昭和8年) 3月3日の昭和三陸地震(三陸沖地震)、  Mj 8.1、岩手県、宮城県、福島県、茨城県で最大震度 5。アウターライズ地震。大津波が発生し、死者・行方不明者3,064人。

1927年(昭和2年)3月7日の北丹後地震、  Mj 7.3、京都府宮津市と兵庫県豊岡市で最大震度 6。死者2,925人。

 

- 大正・明治

1923年(大正12年) 9月1日11時58分頃に起こった 関東大震災、  M 7.9、関東地方南部と山梨県で最大震度 6。死者・行方不明者10万5,385人(1925年の調査では14万2,800人)

1896年(明治29年)6月15日の明治三陸地震(三陸沖地震)、  M 8.2〜8.5、大津波あり、死者・行方不明者2万1,959人。

1891年(明治24年)10月28日の濃尾地震、  M 8.0、根尾谷断層の発生。死者・行方不明者7,273人。

 

- 江戸時代

1855年 11月11日(安政2年10月2日)の安政江戸地震(安政の大地震)、  M 7.0〜7.1、死者4,700〜1万1,000人。

1854年 12月23日、12月24日に、安政東海地震(東海・東南海地震)、  M 8.4、死者2,000〜3,000人。 次の日、-M 8.4、死者1,000〜3,000人が続けておこる。

1847年 5月8日(弘化4年3月24日)の善光寺地震(弘化大地震)、  M 7.4。山崩れにより犀川の河道閉塞と閉塞部の決壊により洪水、死者約1万〜1万3,000人。

1771年4月24日(明和8年3月10日)の八重山地震(明和の大津波)、  M 7.4〜8.0、死者約12,000人。最大遡上高85m。安房まで津波の到達と記録あり。

1707年 10月28日(宝永4年10月4日)の宝永地震(南海トラフ連動型地震)、  M 8.4〜8.6、死者4,900〜2万人以上、倒潰・流出家屋6万〜8万軒。 関東から九州までの太平洋岸に津波、東海道宿場町・伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐などで大きな被害(『楽只堂年録』)。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数か月間止まる。

1703年 12月31日(元禄16年11月23日)の元禄地震(元禄関東地震)、  M 8.1〜8.2、関東南部に津波。死者6,700人、潰家、流家約28000軒、死者20万人とも。

1605年2月3日(慶長9年12月16日)の慶長地震、  M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定。ほとんどが津波の被害。

 

- 江戸以前の大地震

1498年9月11日(9月20日)(明応7年8月25日)の明応地震(東海・東南海地震)、  M 8.2〜8.4、死者3万〜4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流されるなど。地質調査によればほぼ同時期に南海地震も発生。南海トラフ沖にある長さ約300kmの海底活断層による地震の可能性。

1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日)の鎌倉大地震(永仁鎌倉地震)、  M 8クラスの相模トラフ巨大地震との説がある。建長寺などで火災発生、死者2万3,000人あまり、余震多発。

 

- 最古の記録

日本で最初の記録が残る地震は、416年8月22日(8月23日)(允恭5年7月14日) の允恭地震です。 遠飛鳥宮(大和国/現・奈良県明日香村)で発生し『日本書紀』に「地震」の記述が残っています。

 

台湾の主な震災

台湾で観測された地震の大部分は、フィリピン海プレートと、島の東のユーラシアプレートの収束によって発生しています。 歴史上、台湾で記録された地震の大部分は台湾東方沖で発生しますが、被害は軽微でした。 一方、島直下の直下型地震では、規模に比して大きな被害が生じています。

台湾における、最古の記録地震は、オランダ統治時代、1624年に発生したものでです。 20世紀には、91回の大規模な地震が観測されており、うち48回では死者が発生しています。

直近の大地震は1999年9月21日に発生した9-21大地震で、2415人が死亡しました。

 

 地震でも台湾と日本の関係は深い

実は、台湾における地震学の研究は日本統治時代(1895年~1945年)に始まり、最初の地震計は大森房吉の会社によって台北に設置されました。

大森房吉は、明治から昭和にかけて活躍した日本の地震学者で、「日本地震学の父」とも呼ばれています。

大森式地震計

1890年代から1900年代初頭に各地の測候所に設置されていた地震計は、G.M.E(グレー – ミルン ・ユーイング)普通地震計で感震器が動作することで記録を開始する方式で有ったため、p波が記録出来ない欠陥があった。大森房吉はGME普通地震計を改良し、1898年頃に常時記録可能な大森式(水平)地震計を制作した。この地震計は煤書式で記録紙を円筒形に巻いたドラムをゼンマイでゆっくりと動かし常に記録し続ける方式。従って、P波、S波、L波の違いをはっきりと区別して記録することが可能であった。

後に微動計、簡単微動計などの様々な改良型が作られ、日本国内(大学・気象台測候所)だけで無く日本国外でも使用された。

 

~ まとめ ~

 台湾被災地の復旧と復興

台湾は、数十年に一度大きな地震の見舞われています。 ここ最近、多数の死者を出すような地震はありませんでしたが、、今回の地震を含め警戒が必要だと思います。

日本は、台湾にも増して火山列島であり、地震大国でもあります。 災害に対する取り組みや準備はどの国よりも神経を使い、災害救助の部分でも日本は技術と実績があります。

今後もますますお互いの理解を深め、国際協力していけるよう良い関係保っていっていただきたいものです。

馬 英九現総統には、最後の仕事として復旧にがんばっていただき、5月就任予定の蔡 英文次期総統には、復興をお願いします。

 

 日本の地震対策

過去の地震発生状況をみると、1993年(平成5年)以降、毎年Mj5.0以上地震が各地で発生しています。

かつほぼ毎年Mj7.0以上の地震が発生しています。 23年間のうちMj7.0以上が発生していない年は、1996・1997・1999・2006・2007・2009年の6年だけです。

2010年以降は、東日本のどこかで毎年Mj7.0以上lの大きな地震が発生しています。

備えあれば憂いなし

地震そのものへの防災も大事ですが、それによって引き起こされるであろう、災害や事故への想定。

例えば、「原発」、「津波」、「河川決壊」、「建物倒壊」、「生活インフラ切断」の対策と基準づくりを、机上策定で終わるだけではなく、実際の設備や訓練というかたちで実社会に下して欲しいものです。