今回は、すこし重い話題に挑戦してみます。

NHKのクローズアップ現代(1月19日)で取り上げられた、
自分で最後を決めますか ~広がる“週末期鎮静”~」という番組です。

人が、ガンなど痛みや苦しみをともなう病に侵され、
その人生の最後を迎えるときに、私たちはどう向き合うか?

あなたならどうする?

家族として

父の病気

ずいぶん昔になるのですが、
わたしは、大学入学の年に父親、卒業の年に母親をガンで亡くしました。

父親は、一度退院し自宅に戻ってからの療養でした。
喉頭がんの父は、咳込むと酷く、痛みもずいぶん我慢していたと思います。

容態が悪化し、それでも自宅にいたいと頑張り続けましたが、
私や母に看取られ、近所の医者に脈をとっていただき、
最後はやすらかに自宅で息を引き取りました。

今でいう在宅ホスピスですね。
40年以上も前のことですから、当時はそんな言葉はありませんでした。

母の病気

それから5年、なんと母親が卵巣がんを患ってしまいました。

一人っ子の私にとって、残された唯一人の家族であり、かけがえのない母でした。

手術で成功する可能性は少なかったのですが、医者の勧めと、
私たち家族の強い想いで、手術をお願いすることになりました。

しかし、残念なことに、病変部は癒着しており、完全切除の見込みはないと
そのままお腹を閉じたと、術後、医者から聞かされました。

母は、気丈な人でした。
「きっと元気になるからね」と自分を鼓舞し、
私や医者の言うことをよく聞いてくれました。

5月に手術し、抗がん剤を数か月に渡り試したのですが、
甲斐もなく母は痩せ細っていき、
自分で用を足すのも辛い状態になってきました。

母親といえども、一人の女性です。
息子の私にオムツを取り替えてもらう恥ずかしさもあったでしょう。

しかし、末期の自分の体力と状況からはどうしようもなく、
私に感謝するのみで、完全に身を任せるようになってしまいました。

痛みはかなり酷かったようです。

当時の緩和ケア

辛い痛みに耐えかね、
私に「坐薬」を懇願します。
だんだん、懇願する回数も増えてきました。

効果はわずかの時間しか続かず、
現在のモルヒネのような緩和ケアとまではいかなかったと思います。

母の辛そうな表情を見ると、
息子としてその苦痛を何とかして取り除いてあげたい。

出来るものなら、母の体は動かずとも、
安らかな意識だけあって欲しい。
多くの時間を母と一緒に語りたい。

生への執着

そんな母は、
「一日も早く自宅へ戻りたい」とも言ってました。

体を蝕み、動くこともやっとの状況であっても、
死の瞬間を悟っていません。
生への執着が垣間見れます。

お互い励ましあいながら希望を捨てないのです。

自らが死ぬかもしれないという可能性へ対する覚悟はできたとしても、
すぐそこに死が迫っているという自覚は、
そう簡単には訪れなかったと思います。

週末期鎮静

今回、この「鎮静」という対処について、

それを施す是非の葛藤を置いておいたとしても、
関係者が適切な時期を判断し、
処置のタイミングの見極めは大変難しいと思います。

また、「本人の意思を尊重する」と言っても、

本人自身がそれを悟るころには、
その本人の状況がどうであるかが本人すら分からないと思うのです。

母が望んだ、
「体が動かなくてもいい、痛みや苦しみから解放され、
死ぬ間際まで穏やかに語り合うことができたら」
ということ。

「本人の意思を確認する」。

それを十分担保することができるのは、
本人の意識が正常かつ元気なときである、
というようなことでもないと思います。

これは、人によって多分に異なると思います。

病状、進行具合、意識状況、
それに患者本人の精神状態がそもそも異なります。

もし、
すべて鎮静や処置が「本人の意思」においてなされるのなら、
家族や医療関係者の置かれた立場や見解は、
既定できるのではないでしょうか。

しかしながら、
「本人の意思」というものの曖昧さ、
特に病気を患うという感情的に弱まった立場、
死という可能性への向き合い方、および、その覚悟、

それこそが人それぞれなのですから。

当事者判断は無謀の極み!

そこが見極められない状況で、
家族や医療関係者が画一的な決断を下すのは
当事者にとって無謀の極みです。

現代の終末期医療現場の中で、
私と母がその状況に置かれたのならば、

私はこうして判断したいと思います。

私の判断

弱り切った母の一分一秒を見守りながら、
その消えゆく意識と会話し、死期と向き合います。

母と交わすアイコンタクト、
きっと目は嘘をつきません。

母の手を握り、母の強さと温もりを意識します。
涙よりも感謝の言葉と愛情が溢れてくるはずです。

その時、私は判断したい。

そう思いました。

~ まとめ ~

死を認め、人生を“退く”ための医療。

・終末期鎮静

人生の最後は、自宅で穏やかに迎えたい。

・在宅ホスピス

ますますこれから高齢化社会に突入しますが、
この問題は今に始まったことではありません。

またこれからも大いに議論されるべき内容です。

 

輪廻転生を信じ、肉体は借り物、
意識と魂の光となりゆく存在を肯定する立場としても、

やはり別れは辛いものです。

 

最後こそ、

とことん本人との関わり合いを持って、理解したい

残されるものとしての愛情と安らぎをも担保してほしい

かかわる人々の誠実なる対応にも感謝したい

 

それが正直な気持ちです。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。