「善意の援助」と思っても「不必要な援助」があるってこと知ってますか?

東日本大震災から学んだ教訓なんですね。

 

今回の熊本地震、断続的な余震が続きまだまだ予断は許せません。

発生から6日目を迎え、支援も大きく動き出しました。

しかし、頻発する地震の影響もあり、人の手当てや物資の細かな配送網は本格的に動きにくいという現状です。 それでも支援の輪は確実に広がってきています。

 

善意の援助

当事者でない私たちが出来ることといえば、募金に協力するか、救援物資の提供ぐらいです。

 

「なんとかしてあげたい」、「こんなにも心配している」と本心から思っていても、

それが自分たちの自己満足に終わっていないでしょうか。

 

「とんでもない。自己満足じゃないよ。真剣に応援したいんだ」というあなた、

善意が被災地の混乱を招いていないでしょうか。

 

そんな記事が東日本大震災の教訓で残っています。

 

救援物資にしても、初動の時に必要なモノ、しばらく経ってから必要なモノと、TPO(時と場所と状況)によって変えていく必要があります。 これは、防災計画に盛り込まれていると思います。

まずは食料と最低限の生活用品です。

困っているだろうから、何でも送ればいいというものではありません

 

私も後から知ったのですが、

「いまだから言える『要らなかった支援物資』 – 東日本大震災【第二の災害】」

という震災から2年後に投稿された記事には驚きを隠し切れませんでした。

 

「無いよりはあったほうがマシ」、「きっと役にたつだろう」などという安易な考えは、ありがた迷惑。 とあります。

分配や整理するにも労働力が必要だし、保管するためにも雨風をしのげる巨大なスペースが必要。 さらに、生活雑貨が大量に送られてくることにより地元商店の営業再開を阻害している。 というものです。

 

確かに、それでなくとも人手が欲しいし、必要なことに労力を使いたいです。 無料の物資はありがたいのですが、地元にお金が落ちなければ町が生き返らない、そんなジレンマですね。

 

また、ショッキングですが、不要なもの一覧という、実際に現地で迷惑となったものが挙げられています。

不要なもの一覧

1、千羽鶴・応援メッセージや寄せ書き

2、成分表が読めない海外食品(アレルギー成分がわからないため)

3、冷凍食品(冷蔵庫が使えないため)

4、保存食以外の食料(缶詰・瓶詰・カップ麺も賞味期限が切れたものは不安)

5、古すぎる古着・洗濯していない毛布・布団・下着など

6、自分で食料などを確保できないボランティア

これを見てちょっと唸ってしまいました。

 

被災している方の「当事者意識」とは離れているからです。

 

当事者意識とのズレ

仕事においてもよく「お前は、当事者意識が足りない」だとか、「当事者意識を持て」など上司や同僚から言われることがあります。

 

自分が直接関係しているという立場で考えたり行動したりすることをいうのですが、特に震災のような大きな災害の被災は、経験してみないとわからないのかもしれません。

それでも、仮に被災者として受け入れる立場でそのことを考えると、少なからずも理解できます。

 

千羽鶴や寄せ書きはありがたいのですが、置く場所もなく結局は燃やしたといいます。

成分表が読めない食品や保存食以外の食料などは、普段自分が貰っても困るでしょう。

「食べられるだけでもありがたいと思え」などと与えてやるという傲慢さは無いにしても、人としての尊厳をもう少し尊重して考えるべきです。

古着や洗濯していない衣類や寝具などはもっての他ですよね。

 

時間が経てば、自立しようと皆さん頑張るわけです。 震災直後の混乱をやっとしのぎ、落ち着き始めると今までのような暮らしに向かって希望を持って前へ進みたいと思い始めます。 そこには勘違いした施しは必要ないのです。

 

被災している方々は、多大な精神的苦痛と今後の不安を抱えておられます。

 

心のケアはあとから必要。今じゃない!

私たち応援者や特にNPOは、すぐ「心のケア」を心配してしまうのですが、震災直後はそんなことに構っている暇はありません。 応援を得ながらも何とか生活できる状態を取り戻し、一日も早く「普通の生活」に戻れるようになりたい訳です。

 

心のケアはそれからなんですね。 避難所暮らしから仮設住宅や受入れ住宅へ移転し、自分たち家族単位の生活に戻れるようになって初めて、そこから自分たちの後先を考えることができるようになるそうです。 どうしたら「今までのような生活」に戻れるだろうか。 この先いつまでこのような状態が続くのだろうか。 と不安や悩みがでてくるのです。

 

私たちは、当事者意識になかなか近づき難くても、想像力を働かせることはできます

善意が「第二の災害」と言われないよう、被災者の気持ちに沿った行動が求められるのですね。

 

自分本位の余計な発言がブログを炎上させる

もう一つ、苦言です。

それは、女優の「藤原紀香(44)」さんがブログで発した被災者へ向けた応援メッセージです。

結婚会見でもそうでしたし、普段から自分に酔ってる方ですから、さも「心配してますよ~」と公に応援している自分が可愛いのでしょうね。

 

本人が「善意の言葉」と思っても、受け取る人は「逆なでする言葉」になるという良い事例ですよ。

 

ブログのコメントは削除されていますが、それがこちら ↓

「21年前の神戸の時と同じ震度7ということです 揺れの大きかった地域の皆様大丈夫でしょうか?!」

とブログで呼びかけ、

「どうか落ち着いて、無事でいてください。。。」

と一応願ったんです。

余震が続いており、15日深夜には震度6強の地震が襲った。紀香は再びブログを更新し、被災者を心配して

「私は東京にいますが、深夜に一人 震えが止まらず、テレビを見つめています。今夜は眠れそうにありません」

と辛い心境をつづったのです。

「被害に遭われた皆様方、避難所や車の中に避難されているみなさん、不安で不安でたまらない夜を迎えていることだと思います。停電の中、緊急音が何度も何度も...どれほど心細いでしょうか 本当に本当に胸が痛いです」

と被災者の不安を推し量り、

「現地の皆様、落ち着いて、どうか無事でいてください。助け合って、身を守ってください。閉じ込められている方は、絶対あきらめないで!」

とエール。

どうかこれ以上、被害が広がりませんように そして 火の国の神様、どうかどうか もうやめてください。お願いします

と最後に祈ったんですね。

これ、レッドカードでしょ!

彼女は、阪神・淡路大震災で被災した経験があるのでこのようなメッセージを送ったのでしょうが、途中で止めておけば良かった。 最後の「火の国の神様」にお願いしたことがまずかったですね。

 

本人は可愛くお願いしたつもりでしょうが、当事者である熊本の被災者の方々にとっては、

私たちが悪いことをしたから神様が怒ってこのような地震を起こしたのか。」という配慮ない物言いになっているんです。

 

神や仏の世界では、神が罰を与えるなどということはありえないことです。 仏の世界でいう因果応報とは自らが作った罪の報いをいいます。 仏は救うことを本願としていますので、罰を与えることはありえないでしょう。

宗教観からしても最悪といか言いようがありません。

 

思ったことを口にすることはけっして悪いことではないのですが、配慮ない言葉を吐くことは避けたいものです。

特に、このような状況では、なおさらです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。