春の七草がゆ 隠された秘密があった!
1月7日は、「春の七草」
“七草粥”(ななくさがゆ)の日です。
なぜ、その風習は始まったのか?
どのような意味が隠されているのか?
それは、現代でも起こっている、
ある災いから逃れるためだったのです。
では、その真相を見ていきましょう。
七草の起源と意味は?
“七草がゆ”は、無病息災を願って、平安時代から始まったと言われています。
お正月のお祝い膳やお祝い酒で弱った胃を、休めるためとも言われていますよね。
そんな、“七草がゆ”、
日本各地で様々な行事の過ごし方があるんですね。
例えば、伝統的なまじないの歌を唱えたり、
近所を7軒回って雑炊を貰ったりと、
風習は、各地で微妙に分化しています。
まずは健康を願って、“七草がゆ”をいただいてみましょう。
最近は、スーパーやコンビニでも便利なパック商品が売っています。
そもそもの起源は、古代中国にあった。
日本の起源は、平安時代だといわれていますが、
古代中国の占いの風習がその発祥です。
その前に、
1月7日が、“七草の節句”というのをご存知でしたか?
“人日の節句”とも言われています。
下の3月、5月、7月の節句は結構知られていますよね。
1月7日の“七草の節句”(人日の節句)、
3月3日の“上巳の節句”(桃の節句)、
5月5日の“端午の節句”(菖蒲の節句)
7月7日の“七夕の節句”(笹の節句)
9月9日の“重陽の節句”(菊の節句)
これを5節句といいます。
中国では、「五行思想」というものがあり、
万物は5つで構成されるものから存在するとしています。
~ ちなみに、個人的には、
4月4日の“おかまの節句”
も根付いてきたと思っているのですが。
この日は、釜飯を食べてお祝いするのだとか。
「TSとTGを支える人々の会」という
性同一性障害を支援するグループの会が、
正式に制定しています。 ~
これはさておき、七草に戻ります。
“七草の節句”が、どうして“人日の節句”と言われるのでしょう。
ここで話は、中国に話は飛びます。
古代中国では、正月一日から、
鶏(とり)、狗(いぬ)、猪(いのしし)、羊(羊)、牛(うし)、馬(うま)
の順番に、獣畜を大事にするために、その占いを立て、
七日になって人を大切にする占いを始めたということで、
“人日の節句”となっています。
平安時代に、日本にあった
「若菜を摘んで食べる風習」と交わってできたものが、
今日まで続く“七草がゆ”の原点なんですね。
この占いは、新しい一年の運勢を占うものでした。
この日の天候も、その一年を占うもので、
晴れなら幸ありということで喜ばれたそうです。
唐の時代には、「七種菜羹」(しちしゅさいこう)を食べて、
無病息災のまじないをしたとのことです。
これは、日本の“七草の節句”の唱え言につながってゆくのです。
それでは代表的な七草囃子(唱え言)をあげると、
「七草なづな、唐土の鳥と日本の鳥が、渡らぬ先に、...。」
「唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、七草叩いて、ヤーホヤーホ」
地方によって言い回しは、何種類もありますが、
これは、鳥追い歌です。
穀物を作る上では害となる鳥を追うという意味もありますが、
古代では、疫病は外界からやってくるものという考え方がありました。
外界からくるもの→渡り鳥と→唐土の鳥いう発想ですね。
日本の鳥というのは、よくわかりませんが、日本の土地を意味しているのでしょう。
もっと、つっこんで調べてみると、
「唐土の鳥」が何か?ということです。
六世紀ごろの中国・梁代の「荊楚歳時記」に、
正月七日に“鬼車鳥”(きしゃどり)という怪鳥が飛んでくるのを、
床を打つなどして追い払う風習が記述されており、
これが元ではないかと言われています。
しかし、中国の文献には七草を打つことは見当たらないので、
これを忌むということは、
家々が門戸を打ち、明かりを消してこれを払うことに
七草を打つことを掛けたのだと思われます。
昔からの風習とはいえ、現代でも私たちにとって、
「鳥インフルエンザ」の脅威としてずっと晒されているのです。
“七草がゆ”を食べたからといって、
「鳥インフルエンザ」から守ってもらえるとはけっして断言できませんが、
季節や時候、節気など、
先人の教えを聞きながら、
季節の習慣を大切にしていくことは、
心と体の健康を保つ上で、
先人の教えとしてありがたいことだと思います。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
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