1月21日(2016年)は、二十四節気でいうところの「大寒」です。

寒さが一段と厳しくなり、1年中で最も寒い時季ですね。
小寒(1月6日)から立春(2月4日)までの30日間を「寒の内」といい、大寒はそのまん中にあたります。

大寒に思う、昔人の知恵

大寒の東寺、弘法さん

本日の京都新聞に「大寒の初弘法にぎわう 京都・東寺」という記事が出ていました。

「寒さが最も厳しいとされる二十四節気の大寒にあたる21日、京都市南区の東寺(教王護国寺)で今年最初の縁日「初弘法」があった。前日の雪から一転、好天に恵まれて、一年の無病息災を祈る参拝者や買い物を楽しむ人たちでにぎわった。 初弘法は、空海の命日にちなんで毎月開かれる「弘法さん」の中で師走の「終(しま)い弘法」と並び、多くの人が訪れる。境内には植木や骨董(こっとう)品、古着など約1200の露店が並んだ。 市内の朝の最低気温は0・2度(平年1・0度、京都地方気象台調べ)と冷え込んだが、すっきり晴れ渡り、ジャンパーやコートを着込んだ人々が境内を行き交った。大師堂や弘法大師像の前では参拝者が列をつくり、次々と手を合わせていた。露店では店主の威勢のよい声が響き、品定めする人たちが縁日の雰囲気を楽しんだ。 毎月訪れるという男性(69)=右京区=は「家内安全と健康を祈りました。一年間守っていただけることに感謝したい」と話していた。」

二十四節気とは

そもそも二十四節気は、簡単にいうと太陽の運行を基準に1年を24分割したものです。

1.黄道を「夏至」と「冬至」の「二至」で2等分
2.さらに「春分」と「秋分」の「二分」で4等分
3.それぞれの中間に「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」の「四立」を入れて「八節」
4.一節は45日。これを15日ずつに3等分し「二十四節気」としました。
5.さらに5日ずつに3等分し、時候を表したものが「七十二候」といわれています。

暦 二十四節気

二十四節気は、毎年同じ時期に同じ節気が巡ってきます。
節気の間隔が一定で半月ごとの季節変化に対応できるので、天候に左右される農業の目安として大変便利なものでした。 季節を知るには大変便利であったため、天候や生き物の様子を表す名前がつけられて、今でも年中行事や時候の挨拶などの様々なシーンで使われています。

話を「大寒の弘法さん 京都・東寺」へ戻します。

空海が愛した、東寺。

京都・東寺は、「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれ、平安京鎮護のための官寺として建立が始められました。 弘法さん(空海)は、嵯峨天皇より東寺を下賜され、東寺は真言密教の根本道場として栄えたのです。 弘法さんは、高野山にご入定しましたが、東寺を心から愛していたのでしょうね。

御詠歌に「身は高野、心は東寺に納めおく 」とあります。

荘厳な空気で包まれた高野山も大好きですが、大日如来を中心に据え「立体曼荼羅」はいつみても見事です。 講堂に入いって、輝ける大日如来の前に座り目線を上に向けますと、如来の力強くも光の愛に包まれたやさしい目でみつめていただけます。

天地を超えたパワーが、その眼差しからの一瞬にして、私たちの体にみなぎっていくのを感じますよ。 是非、一度ゆっくりと座してみてください。

ご入定された、高野山

また、高野山は、霊場としても格別なところです。

だいぶ昔のことになりますが、学生時代に母の病気平癒を祈願するために、この高野山に1週間逗留させていただいたことがあります。

修行を積まれた高僧の方たちと一緒に昼は“般若心経”を唱えながら各寺を回り、夜には禊として奥の院の“玉川”の水に清められるのです。 当時は、無我夢中でしたので、ゆっくりと高野山を楽しむなんぞ余裕はありませんでした。  しかし、読経と禊で研ぎ澄まされた神経は、何かを覚醒させたのでしょうね、見えないものが見えたような錯覚に何度が遭遇しました。

その後、数十年経って訪れた高野山。 僧坊では、松下幸之助さんにゆかりのある「西禅院」をご利用させていただきました。 朝起きて、そこから目と鼻の先にある、朝光に輝く「根本大塔」の荘厳さは、今も忘れられない思い出です。 精進料理が大好きですので、般若湯とともに格別の夜でもございました。

翌朝、お寺から奥の院まで散歩をさせていただきました。
上の写真は、毎日、日に2回行われる、弘法大師にお食事をお届けする儀式、「生身供(しょうしんぐ)」に遭遇することができました。
ありがとうございます。

歴史の上では、御影堂で最後の説法を行い「奥の院」に入定したとされていますが、本当は、御影堂の裏の道路をはさんだ斜向かいにある『龍光院』(別名「中院」)に入定した後、高野山「奥の院」に籠で運ばれていったのですね。

高野山 地図

高野山は、しょっちゅう行けるところではありませんが、

「あ~あ! 死ぬまでには、もう一度高野山の宿坊にお世話になり、奥の院までの道のりを歩きたいものです。」