不安や怖れは、なかなか脳裏を離れないものです。

前回の記事で、いとも簡単に不安や怖れから逃れる方法を書きました。

 

「不安や怖れ」を手放す呪文

しかし、多くの人に「よくもそんな簡単に脱出できるなんて、嘘でしょ!」と叱られます。

確かに、そう言っている自分もご多分に漏れず不安や怖れはやって来ます。

いつもノー天気に事を構えることなんて、聖人ではありませんのでまだまだ出来ません。

出来ないからこそ、呪文のように「言い聞かせているのですね。

不安がよぎったら、「はい、はい、大丈夫ですよ。はい、ここから良くなりますよ。

怖れが押し寄せたら、「はい、これで終わり。はい、怖れはさようなら。」

とにかく、頭を少しでも支配したときは、それを打ち消し、「はい、終わりですよ」と、

「不安や怖れ」を、その都度捨てればいいのです

これを繰り返しているだけです。 一種の大切なオマジナイですね。

 

何度も言って「脳」をだませ!

「不安や怖れ」をそこに度々置いてくると、忘れ物と同じですね、だんだん思い出さなくなるんです。

それがこのオマジナイの思う壺なんですね。

「脳」はそんなにバカではありませんで、何度も大丈夫という「記憶」をめげずに刷り込んでやると、「そうなんだ」とだんだん思い込んでくれるんです。

そうしたら、こっちのものです。

大丈夫なら、「けっこういけるんじゃない」、と「脳」は前向きな気持ちになるのですね。

その点では、人間は単純でありがたいものです。

 

ではここで、不安や怖れはどこから出て来るのか、という根本が分かると、事前の対処ができますよね。

それは、

 

物欲は、心の平安を維持できない!

あれが欲しい、これが欲しい、という物欲に囚われている間は、心に平安は訪れない」ということです。

物欲を捨てなさい、と言っているわけではありません。

物欲を追及することは、永続的な幸せには結び付かない、ということに気が付かなければなりません。

物欲は、心を果てしなく十分に満たしてくれる存在ではないということです。

 

例えば車。 とても欲しかった車が手に入って最初は満足で幸せな気持ちになり、人にも自慢することがあるでしょう。

しかし、そのうち新車が出て、型が古くなったり、少しぶつけられて傷が入り修理すると、それまで大切にしていた車を手放し、新車へ乗り換えたくなりますよね。

 

大きな買い物でもそうです。 やっとマイホームを手に入れ、「俺もここまで来たか」と家族そろって幸せを喜び大満足します。 苦労して購入しただけに幸福感も大きいでしょう。

でも、数年が経ち、子供たちも大きくなり、部屋が汚れ、何故か狭く感じたりしてくるものです。 今のように住宅金利が下がろうものなら、昔買った時に組んだ固定金利が恨めしくなって、借り換えの手続きをするか、いっそ引っ越しちゃおうか、と思い悩むようになってしまいがちです。

 

「モノそのものは、生活を豊かにするものであって、モノそのものを得ることが人生の目的ではない」という大事なことを知らなければなりません。 これを追い求めると、人の持ち物が良く見え、自分に焦りや劣等感を持ったりします。 また、自分が手にしたときの興奮や感激は一時的ですぐに冷め、いつまで経っても幸福感が得られないようになってしまいます。

これでは、見た目その時は幸せそうでも、心の平安はなかなか訪れません。

すごい残念ですよね。

 

あなたは心に何を食べさせていますか?

ここで、あのマーフィー先生の言葉を思い出してみましょう。

 

心が何を食べているかによって、人生は決まる!と。

 

生きていくために「体」には食べ物が必要なように、いきいきと活きていくために「心」にも必要なモノがあります。 これが人生にとってとても重要なんだと警告してくれているんです。

さきほどの車の例に戻りますと、

最新型を買い続けて満足するだけに幸せがあるのではなく、

「その車に乗って何処へ行くか、誰を乗せて走るか」が重要ですし、

「仕事や人生にどう役立てていくかを考える」ことこそ最大の目的にするべきです。

 

あまり、難しく、硬いことをいうな!、とお叱りを受けそうですが、

何度もいいます。 物欲という一時の自己満足を満たすだけでは、心の平安とゆとりは生まれないということを。

モノよりコトを得、その得た成果から精神的な満足をどのくらい得ることができるかこそ幸福度は大きくなります

 

もう一つ付け加えることがあります。

それは、

 

現実逃避の願望は長続きしない!

同じ願望でも「現実逃避」を目的とすると幸福感を満喫することはできない、ということです。

欲と願望は、時として人を現実から逃れる道具として作用します。

毎日が面白くないと、趣味やゲームに没頭するようになったり、自分のやるべき勉強や仕事に向き合わなくなったり、仕事が自分と合わない仕事がキツイと会社を辞めて安易な独立をしたり、はたまた郊外へ移住をしたりする人がいます。

その先にあるものを全てが失敗だとは言いません。 しかし、逃れるために願望という名のもと行動したのならば、それは叶うというより、残念が叶うという確率が高いような気がします。

 

なぜ残念かというと、

そこには、「いきがいの創造」や「自己実現につながる願望」というものが無いからです。

「いきがいを見つけよう」「何かを成し遂げたい」という願望に意識を集中させた方が、幸福度はより深く、そして長く味わえるからです。

 

~ まとめ ~

物欲に囚われている間は、心の平安は少ない

・心の平安は、人生や仕事にどう活かせるかを考え、大小を問わずその達成感で味わえる

現実逃避目的とする願望では、幸福感満喫できない

・人は、いきがいを見つけ成し遂げたいという願望集中した時の方が幸福度より深くより長い

 

不安や怖れの多くは、この物欲の欠乏感やいきがいの欠如から発生するものです。 幸福や希望に変えていくためには、上の4つのことを頭において生きてみましょう。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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