今回は、川北義則さんの人生本である「人生はすべて逆を行け」をとり上げてみます。 けっこう前になりますが、この本を本屋さんで手に取ったとき、「それも逆をいくか!」けっこうへそ曲がりじゃない、とその言葉ムリだわ。 それも、逆を行くって言っても「すべてかよ」と、半ば疑いながら一応、目次に目を通しました。 逆といいながら、短いフレーズの中に少し共感も覚えました。 読み進めるうちに、気が付いたら「うなずく」自分がいました。

|人生にとって大事な逆発想の言葉 (3)

ロジカルシンキングという観点からもう一度、この「逆発想」をおさらいしたいと思います。

第3回目は、

11.何でも「努力した」で片づけるな

川北さんは、当人がけっして言ってはならないセリフだと言っています。 努力する、努力を続ける、ということはとても素晴らしいことです。 特に、勤勉な日本人はその言葉が大好きですよね。 努力している姿に、何かしらの憧れと敬意を感じてしまうのです。

成功したときは、「努力のたまものであり」、「努力の甲斐あって」という言葉が冒頭にきます。 失敗したときは、「鋭意努力したのですが」、「努力の甲斐なく」と無念さを滲ませて最後の言い訳となります。 この「努力した」という言葉は、本人がその成果を語るときによく使いますよね。

では、どうして、当人が言ってはならないのでしょう。

ロジカルに「努力する」という行為を考えてみます。

人は、何か目標を持ったとき、それに対して自分なりのペースときまりで達成のための行動をしていきます。 しかし、そこには個人差というものがあります。 自分がきめた仕事量や運動量が適正なのか、毎日欠かさず行っていたのか、常に情報を仕入れ活かしていたのか、など、あくまでも自分たち基準です。

仮に、努力のためのカリキュラムとして、皆が「同じ量、同じ質、同じ時間」をこなしたとしても、結果は人それぞれで差は生まれてしまいます。 そこには個人の体力差や意識の差が厳然と横たわっているからです。

つまり、「努力」をはかるのは、何かと比べたときだけに分かるもので、その量をやったから私は努力したとは言えないのですね。

では、「自分なりに努力した」という表現であれば、使ってもいいのかもしれません。 しかし、「自分なり」ってどういうことよ?とつっこみが入りそうですよね。 立てた目標や手順という「自分なりに」の説明が必要になってきます。

それじゃ、面倒ですから、「努力した」という言い訳せずに、自分の目標まで場数を踏んで繰り返せばいいじゃないか、というのが川北さんの意見です。 すなわち、努力逆転の法則だそうです。

12. 「自分探し」は「ガラクタ探し」

これは実に過激な表現ですね。 「自分探し」とは実は一生のテーマですから、人生の途中で安易に「自分探しの旅」をしているなんてノー天気なことを言うべきではないというのですね。 確かに、私も今もって不明瞭です。

「自分探しの旅」をしても自分が見つからない理由として、

①明確な目的を持っていないから ②本当の自分の答えは、自分の中にあるから ③旅は開放的になるから ④目的が他にあるから ⑤人と接する事で自分は見つかる  があります。

自分探しの旅はしちゃダメなんですね。 自分のことはさておき、旅を、景色を、人を楽しむことが最優先です。 自分探しは、見えない自分の後ろ姿を追っかけているようなものでやっても無駄です。 自分らしさって、人や自然とのふれあいの中で、感動したり泣いたりするときに見えてくるものです。

本当の自分は?、なんてわからないですよ。 今の私たちは、昨日の私たちとまた別の私たちになっています。 「今」をどう生きるか、を考えていくことが重要です。

さきほども書きましたように、様々な経験や知識にふれあい、社会に参加することで、いろいろな自分を見つけられます。

人生を味わうためには、そこに飛び込んでみるしかないのですね。

13.社会人になったらさっさと家を出ろ

今、自分が置かれている状況をよく見てみましょう。 家族は、学生時代の友人は、会社の同僚は、取引先の知り合いは、趣味の仲間は、SNSでのともだちは、そして、町内?、県内?、全国?、世界?、どのくらいに人がいるの? つながりの深さは? たんなる知り合い?それとも親友? 人それぞれ、その交友関係の広さや深さは違っています。

何が言いたいのかって?

自分の小さな世界だけに閉じこもっていては、楽しい世界は開けませんよ、ということですね。

「さっさと家を出ろ」とは、家を出て一人暮らしをして広く世間を見ろ!というだけの単純なお話ではありません。

経験を積めるところに身を置こう!ということなんです。 このことが、人間の幅を広くし、蘊蓄のある楽しい人生を過ごしていけるコツなのかもしれませんね。

14.世の中「理不尽が当たり前」と思え

「何でそうなるの」「どうしてそんな言われ方するの」「私だけ無視されるの」と、思うことは人生においてよくあります。 特に、社会や会社生活においては、けっこう多いかもしれません。

さきほどの思いは、ネガティブな思いです。 自分が期待していて裏切られた、仮に期待はしていなくても損をしたような気になる、など常にマイナスに捉える行為ですね。

マイナスの発想から反骨精神が出てくればおんのじですが、そのほとんどはウラミツラミで終わってしまいます。 何の生産性もないですよね。

それでは、世の中「理不尽が当たり前」と思いっていますと、受け止め方は全然変わってきます。 「やっぱりそうきたか」「やっぱりそうだったのか」「その程度で収まったか」、すべて前向きにものごとを捉えていませんか? 捉え方がポジティブです。 そこから学び、次の行動へ結び付けてやろうという意思を感じますよね。 つまりマイナス思考ではないのです。

この学びから、日頃の言動や行動に気を配ることができれば、理不尽な目に合う確率は減ってくるはずです。

以前、ホリエモンこと堀江貴文さんがよく使っていた言葉に「想定の範囲内」という言い方がありましたよね。

ビジネスをやる上では、成功も失敗も、想定の範囲内だったら、受け止められるというような単純な意味ではないのです。 その本質は、相手側がそういう手で来るだろうという事は予想していたので驚く事じゃないし、充分に対処する手だてを持っているという強気の姿勢であるという事です。  当然、成功するためにあらかじめシュミレーションしていた範囲内だというで、失敗することを受容出来るという意味は含まれていないはずです。 ポジティブシンキングにおいては、あくまでもゼロベースです。

最悪がゼロ、結果は当然プラスを想定して組み立てていくわけですね。

15.不運は「幸運の始まり」と解釈せよ

この言葉の考え方は、生き方のヒントのところで何度も確認してきたことです。 俗にいう「引き寄せの法則」ですね。 自分の言動にマイナス言葉が多かったり、思考がネガティブに捉えることが多かったりすると、自ずと不運が引き寄せられ、気持ちも落ち込んでしましますから、ますます不幸のサイクルから抜け出せなくなってしまうのです。

逆に、プラス言葉を使い、物事をポジティブに捉える習慣があると、自ずと幸運を引き寄せ、幸せの軌道へ乗っていくことができます。

結局は自分の心の在り方次第なんですね。

残念を「残念だったな」と思うか、残念を「この程度ですんだ」と思うかで大きく違うんです。

「残念だったな、失敗しないよう頑張ろう」と減点主義を警戒してお互いなぐさめあうのか、「この程度で済んだのだから、次は目標を上げて行こう」と加点主義で努力を積み重ねていくのでは大違いだということが分かると思います。

すべて前向きに解釈せよ。好いことは引き寄せられる。」ということです。

~ まとめ ~

ロジカルシンキングは、論理的にものを考え、様々なことを整理、想定していきます。

そこには積み重ねという「努力」という尺度がありますが、これはあくまでも相対的な評価ですから、「努力した」という自分のための緩和剤は使わない。 それよりも場数を踏んで繰り返し、自ら飛び込んでいくことに人生の味が出てきます。 常に経験できるところに身を置き、ゼロベースからポジティブに考えていきましょう。

世の中の理不尽は当たり前という立場に立てば、そこからプラス思考で学ぶことになり、気を配ることができるようになります。 幸運か不運かは、すべて自分の心の在り方次第ですので、常にポジティブ思考でことに当たりますと、良いことも引き寄せていくはずです。

11.何でも「努力した」で片づけるな

12.「自分探し」は「ガラクタ探し」

13.社会人になったらさっさと家を出ろ

14.世の中「理不尽が当たり前」と思え

15.不運は「幸運の始まり」と解釈せよ

参考にしてみてはいかがでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。