世の中で活躍している人を見ると、

「彼は天才的な才能の持ち主だから」、多分どんなスポーツしても一番になるだろうけど、最初から才能があるっていいよね...だとか、

「あれだけの体格を持ったことは親に感謝しないとね」、最初から体の大きさが違うよ、両親とも背が高くて大きいからね...だとか、

「やっぱり持ってるものが違うわ」、庶民とはもともとの資質が違うよ、選択も間違っていないし考え方も素晴らしいからね...だとか、

賛辞を贈る代わりに、最初から自分たちとは違うんだという差別(垣根とつくる)をしています。 この差別は、その人の成功はもともと自分たちとは別次元の人間が成し得たことなので、それが“できない”自分たちはなにも卑下する必要はないんだ、という自己正当化を図っているんですね。

簡単にいうと、「あいつ? 彼はわたしたちとは別ものよ!」と垣根を置くことですね。

いかなる“才能”も“努力”には勝てない

どんなに才能があるといわれようと、その努力には勝てないということです。
つまり、努力に勝るものはないということですね。

よくTVのインタビューで、素晴らしい成功や成績を残した人にその秘訣を尋ねて、こんなやりとりをよく耳にしませんか?

  • 幸運に恵まれた人たちは、

「誰よりも努力してきて良かった!」といいます。

  • 天才といわれる人たちは、

「誰よりも努力してきて良かった!」といいます。

  • 奇跡を成し遂げた人たちは、

「誰よりも努力してきて良かった!」といいます。

みんな一様に、「努力してきて良かった!」と結果的に努力した自分を褒めるんです。

何故でしょう?

そう、「努力」は、「才能」があろうがなかろうが、誰でもやろうと思えばできることです。

こうなりない、こうしたい、こうではないかと思ったら、失敗しようが挫折しそうになっても、どにかく諦めずに挑戦するんですね。 その努力という行動は、「継続」という言葉に支えられているのですが、人によってその質や量や速度は違います。

人それぞれそのパフォーマンスが違うだけです。 しかし、努力という積み重ねは、みんな共通で同じなんですね。もう一度言います。質と量とスピードの違いだけです。

質は、物事に取り組むとき、学ぶことで質は高められます。

量は、どのくらいの時間学び練習を重ねるかです。

スピードは、質の向上や量の消化の速さですね。

それだけ、努力という積み重ねをしてるのです。

~ まとめ ~

才能があるから成功するのではなくて、各々が持てる個性を「努力」という積み重ねで磨いていくからこそ成功へ近づけるのです

才能があるだけでは、ずっと努力している人には勝てないということですね。

そうなんです。

人は、努力できなかったとき、努力したくないとき、努力しなかったとき、

人は“できない理由”を「才能」のせいにするのです